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あいまいなもの

 2010-12-23
最近よく感じるのが、人間も、世界で起きることも、生き方でも、おおざっぱに言うと答えがある、というか、統一的なものを見出すことができるものと、どんなに考えても、どんなに行動を起こしてもどうにもならないものがあるなーと。当たり前と言えば当たり前なのですが…
どうにもならないこと、は「非科学的なこと」に近いような感じなのですが、そういう部分があるから苦悩とか、争いとか、思いがけない喜びとかがあるわけで…
それはものすごく不安定で、人間だからやっぱり統一的なことを見つけたいというか、もっと言うと、そういうことに「法則」や「固定化された観念」や「対処法」みたいなものを見つけられたら、もっと人生うまくやっていける、苦しまなくてすむという淡い期待があったりします。
だから「答え」や「意志」を見つけようと考えたり動き回ったりするのは当たり前で、だけど見つけられなくて、毎回「同じようなこと」のはずなのに、苦しかったり、悲しかったり、あるいはうれしかったり。
そんなことを考えていて、今現在では、ですが、「答えが見つけられるもの」と、「答えが見つけられないもの」の究極の融合を見つけていくことが、人間が高度な社会をつくっていくことで、それが大切なことなんじゃないかなーと…あくまでも私見ですが。
前者は言い換えてみると「功利主義」だったりするわけで、功利的だからこういう選択をする、ということをしていったときに、それじゃ人間は本当に功利的なことに納得ができるのか、という問題があるんじゃないかなと思うのです。
人間にはどうしても「心理」というものがあるわけで、それは言ってみれば「不安定なもの」だと思います。
「好き」もあれば「嫌い」もある、論理的じゃなくても「生理的に」ということもあるわけで、それがダメかといったら、そうは言えないと思います。
それじゃ功利主義が悪いかといったらそういうことじゃなくて、功利的なものというものも突き詰めていく必要があるわけで、それが幸福を与えることは非常に多いと思います。
つまり何が言いたいかというとwはっきりしたものとあいまいなものがあって、それらがちょうどうまく融合するような、最大限の幸福を与えられるのはどういうことなのかということを考えていきたいなと思います。
話はずれるけれど、本やさまざまな作品には「わかりやすいもの」と「わかりにくいもの」があって、近年は「わかりやすいもの」が好まれ、さらに「もっとわかりやすいもの」が求められてる傾向にあると思います。
それにあわせて与える側、または日本の文化そのものも変わってきているように思うのですが、「わかりやすすぎる」ことが果たして豊かなものを生み出すだろうかという疑問や不安があります。
「訳」であったり、「吹き替え」であったり、「本」であったり、「アニメ」であったり、「音楽」であったり…
それじゃ「わかりにくいもの」がいいかといったら、そうでもないわけで、わかりにくいものはどんなに素晴らしいことが描かれてあるとしても、普及という点では障害になるだろうし、わかる人以外にはそもそも存在しないものになってしまう危険もあると思います。
さっきの話で言うと、「わかりやすいもの」と「わかりにくいもの」、とても難しいことではあるけれど、その最善となる公約数的なものを求めていけたら、いいのかなと思うのです。

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